濱田政孝略歴

S.24年  沼津に生まれる

母親のピアノ教室の影響でピアノレッスンに通う

父親の影響で絵を描くことが多々

小学校2年 叔父の指導のもとST管5級スーパーラジオを作成

中学に入ると自設計によるラジオの製作や楽器店のエレキアンプなどの修理を始める

中学校2年 アマチュア無線の免許所得(JA2GCS)にてはまり込み 更なる無線機器を作り始める

高校 電気部に所属し 女子高校に講師として親睦をはかる

車のレッカー屋(カトーオートリペア)に無線の相談役としてお邪魔し始める
警視庁依頼の日本ハイウェイセフティー研究所の研究員として(交通事故メカニズムについてなど)H20年加藤社長の逝去するまで活動

高校2年 軽四輪の免許取得
父よりスーパーカブを譲り受け エンジンを分解組み立て ここから車の改造チューニングの始まり

短期大学 先輩が三島無線を設立
応援で、たびたび帰ってきては、箱根の航空局(羽田国際空港の中継局)の修理・メンテナンスに

1年の春学園闘争が始まり、学校は休校に9ヶ月も!
その間 叔父の勤めてるRICOHの中央研究所にて、コピー機の高圧電源のインバーター化の開発に業務。そのまま勤めれば良かったが、学園闘争が終結したので学校に出戻り。

2年 軽自動車HONDAのN360に乗り始め 本格的チューニングが始まる
4年生終わるまで3台 ジムカーナなどで楽しみながら エンジンなどのフルチューニング方などを習得
(電気を習得にいったはずだが!研究室でタペットを削ってたり)

4年生に偏入学 音響工学の先生に学び、機械インピーダンス測定方法などを習得

楽器店の修理員として日本ハモンド・ローランドなどで勉強させて頂き、電子オルガン・シンセサイザーの音作り方法を習得
ミタチ音響就職中も楽器店修理人として活動

4年の夏休み ミタチ音響に企業実習

S.47年 ミタチ音響に入社
社長命令で1年間自由開発を命じられ MMカートリッジの発電機構構造の確立
2年後Victorの音響研究所スタッフを会社に迎え共同開発でX-1/Z-1を世に出す

叔父が鈴木技術士を開業その援助仕事を開始

景山朋先生の下で先生考案の元祖・平板スピーカ朋の開発・発売に携わる

S.55年 数々のMMカートリッジを世に出して来たが、退社独立

S.55年 家電小売店を創業開始

S.56年 静岡県立あしたか職業訓練校 講師として13年間 生徒指導

友人が音楽堂を開設 その援助を始める
(数万人を相手とするHiFiのPAなど)

S.57年 Victor特機の仕事人として、H19まで静岡県内を走り回る
(非常放送設備・パチンコ店の防犯カメラなどの設置)

H.20年 ミタチ音響の開発に再出発

H.22年 MH-104S・MH-124Sを発売、輸出向けMH-104SX・MH-124SXを発売

H.23年 MH-94Sを発売、輸出向けMH-94SXを発売

H.26年 新工場を友人のカーボン工場内に新設

H.27年 MH-124S(DLC) ・MH-9B・MH-10Bを発売

H.27年 上杉研究所の真空管アンプの配線組込みを始める